理解の深さ

Ken published on
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最近はシステム関係で色々と考えてたりするせいで、ブログに書くネタがない。 考えてることは試行錯誤でまとまりがなかったり、ネタバレになったりするので、書く気にもなれず…。

なんとなく、普段気にしていることでも書いてみようかな?と思ったので書いてみることにする。 内容は、タイトルの通り "理解の深さ" について。

仕事でも趣味でも何でもいいんだけど、どれだけ理解をしているか?ということ。 理解度の表現は色々とあると思うけど、少なくともこれくらいはあると思ってる。

  • 理解するつもりがない(論外)
  • 理解してない
  • 理解出来そうな気がする
  • 理解しているつもり
  • 理解している

人の話を聞いたり、自分で調べたりしても、たいていは "理解しているつもり" で終わっていると思っている。自分で "理解している" なんて確証が持てるものはそれほど多く無い。

例えば、友達と話していて「◯◯だからこうなんだよ」みたいな説明を受けたとする。その時点では理解したように思っていても、あとで考えてみると「この場合はどうなるんだろう?」「こういうときって矛盾してない?」と思うことがあると思う。 なぜこんなことになるかというと、あるケースにおいては理解してるだけの状況だからではないか?

理解についてこんなことを考えているから、自分が話すときにも相手の理解の度合いを探りながら話している。そういうときに相手の理解度について思うことがいくつかある。

  1. わかってないのに「わかった」って言ったな?
  2. 理解できそうにないから、聴くのも諦めてるな
  3. このケースについてはわかったつもりになってるけど、理解が浅い(実践すると困る)な
  4. これだけわかってたら大丈夫そうだ

この中で一番やっかいだと思うのが "3" のケース。 1のように、わかったというなら、その先は説明する必要がないので終了。 2の聴くつもりがない人には早めに話を切る。 4のように理解したならそれ以上話すことはない。 3は、理解したように思っていても、実際は理解の穴が多いから、実践しようとすると結構躓いたり悩んだりすることが多い。結局、自分で調べたり、他の人に聞いたりして、なんとか理解に近づく。 このとき、はじめに聞いた前提知識があるからその後がうまく行くことが多いはずなんだけど、はじめに聞いたという重要さを認識してないことが多い(=初めに話した人残念)。

こんな理由から、理解についてははじめに聞いたことや、自分の理解の甘さは気にするようにしてます。

理解とは少し違うかもしれないけど、表記についても気にしてる。 ここで言う表記とは、大文字小文字だったり、全角と半角だったり、そんなこと。資料書いてる時に記憶が怪しいときは検索して正式名称を調べたりしてます。 些細なことだけど、せっかく理解が深く、重要なことを正確に書いているにも関わらず、名称が間違っていたり、全角アルファベットで体裁を崩したらもったいないでしょ?ということ。