共通認識という存在

Ken published on
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今の現場では色々と物事がうまく進んでないように見えて、これをなんとか改善したいと思いつつ、そういう立場ではないので直接効果が出るようなことは何も出来ず。
そもそも、うまく進んでいないという事実が見えていない上に、報告書とかの評価も "概ね順調です" という感じであり、さらにスキルが足りない人が指導している内容が間違っている…という場面も多々見てきた。

不足しているものはたくさん見えているんだけど、たくさんあるから全部改善することは出来ないし、だからと言ってひとつずつやっていたのでは効率も悪く関連性があるから効果が薄いことが目に見えていた。
ここまではなんとなく気づいていたので、根本的に何が足りないのか?ということを気にして見てきた数ヶ月だったが、12月に入ってやっと見えてきたものがある。

共通認識

たぶん、一番足りないのが共通認識。
打ち合わせであーだこーだ話はするんだけど、それが共通認識になっていない。
共通認識になっていないというのは、次のような状態。

  • 言葉として出てきたのは覚えている。
  • その言葉を発した人の意図が見えていない。
  • 見えるもの(紙でもファイルでもいい)がなくて、聞いたことだけ。
  • 「これだよね」という意識をすりあわせていない。

もっとあるのかもしれないけど、だいたいこんな感じ。
来年からはこの辺を強化しようと思っている…が、当然そういう立場ではないので働きかけるという表現が正しいのだろう。

共通認識を作った

とあるプロジェクトの打ち合わせに参加して、話を聞きながらマインドマップとしてまとめたことがあった。
マインドマップで書いていると話が薄いところも見えてくるからそこを掘り下げるように質問をしたり、話が飛んだ時に飛んだ先の話が終わった後に話を戻したり、「これは誰視点の話?」という主語を明確にしたり、かなり役立ったと思っている。
最終的にはその場での共通認識として "ググれること" というところに落ち着いた。

今思うと、その時の共通認識の "ググれること" から半分脱線しているようで気にはなっているところではあるが…。

マインドマップで整理しつつ話を進めるという初回に於いては十分な結果であるという内容でメールしたが、その後は整理していなかったこともあり、右往左往しながらなんとか乗り切ったようだ。
右往左往しながら乗り切った結果も経過も気になるところではあるが、いきなり同じようにまとめることは無理だし、そういう必要性にも気付いていない人に理解は難しいので、年明けから少しずつ布教しつつ理解をしてもらおうと思っている。

それぞれの想いや不安

人が集まるということはそれぞれの想いや不安のような感情が異なる。
にも関わらず、なぜかプレゼン資料で出席者を納得させようとしている風潮が不思議。
プレゼン資料でこちらの意図を伝え、それについての思いや感情を引き出し、不安要素は取り除いて納得してもらわなければならない。
このとき、どれくらい不安なのか?も併せて把握する必要がある。
あーだこーだねちねちとうるさい人も「実はこれが発生する確率なんて宝くじ程度だから起きてから考えればいいんだけどね」と思っているかもしれない。

そういうところまでどう思っているか知る必要があるんだけど、なぜかそういう打ち合わせや会議って少ないなぁ…と感じている。

ほとんどのことは不安要素を取り除いてあげたらすんなり行くのは、不安要素が取り除かれた瞬間のあれ晴れ晴れとした顔を見ればわかるでしょう。