簡単なアプリの設計
簡単なアプリ…というか、サンプル程度のもの。 「普段当たり前のように使っているものと同品質でいいや」と高をくくっていると意外とできない。 この難易度がわかるのは実際に設計したことがある人だけで、 知識として持っているだけの人は「自分はできる」と思っているだけで、 実は出来ないということに気付いていない。
ファイルを保存しますか?
エディタに文章を書いて、保存せずに閉じようとしたときに見かけるあれ。
「ファイルを保存しますか?」 [はい] [いいえ] [キャンセル]
遭遇したことあるはず。
「閉じる」という観点
「ファイルを保存しますか?」というダイアログが出る前に行ったのは「エディタを閉じようとした」こと。 「閉じる」ということに対してYes/Noという選択肢か?というとそうではなくて、 [はい] [いいえ] [キャンセル]の3択。
実は、これをYes/Noで表すと[Yes][Yes][No]という選択肢であることに気付く。 [保存して閉じる][保存せず閉じる][閉じない]の3択であり、 前の2つの選択肢は「閉じる」ということについてはYesなのである。
保存(書きかけ)という観点
閉じようとする行為に対しては「はい」「いいえ」の2択で十分であるわけなんだけど、 「書きかけの文章あるけど、どうする?」って親切に聞いてくれているが故の3択。
こういうことを如何に設計に取り入れるか?が使い勝手に関わってくるわけだが、 意外と考えられていないのが実情。
名言
某ジョブズもこんなことを言っている。
製品をデザインするのはとても難しい。多くの場合、人は形にして見せて貰うまで自分は何が欲しいのかわからないものだ。
利用者というのは何が欲しいかわかっているわけではなくて、 「こうすると便利だよ〜」ってことに対して「ほんとだ!便利だ!」となる。 設計者も人なので、基本的にはこれが当てはまる。 けれども、これが当てはまっている間はいつまでも設計はできないだろう。
話は戻って…
作るという作業は簡単そうに見えているものでも簡単なわけではなく、 日々、そういう観点で物事を見ていないと絶対にできないという話。
若い人ほど子供の頃からPCが身近なんだけど、 どうしたら使いやすいのか?という観点で見ている人は思った以上に少ないと思う。
まとめ
「結構PC使えるから作ろうと思えば作れる」なんて思ってないで、 実際に作ってみて、その過程でいろいろと学んで欲しいところ。
「こういうの作って」という人も、出てきたものにはダメ出しできるけど、 その人が作れるか?というとそんなことはなくて、 その時点で明確なのは「口だけ出せる」という事実。
最悪なのは実際に作業しても作れない人が集まった場合。 口だけ出せる人はいても、実際に作業してみたら…という状況。
自分で手を動かさない人はこの状況に気付けないし、 この記事を読んでも「私は違う」と思ってしまうものなのだ。