“本気”の意味

Ken published on
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やっぱシャワー浴びてる時は考えがはかどるというか、まとまるというか、いいねっ! 以前会社で「シャワー浴びてるときって考えがまとまるんですよね」って話をしたら、 「好きなときシャワー浴びていいよ(笑)」と言われた。 会社にシャワールームがあるから(笑)

そろそろ本題。 数週間前に転職サイトに社員の募集を載せました。 残念なことに、さんざんな結果に終わった・・・。 でも、今思うとこの結果は当たり前で、全然不思議ではない気がする。 他の人はどうか知らないが、自分の中ではすごくすっきりした状態。 その経緯はこんな感じ。

転職サイトに募集を載せ、終わった頃に転職に詳しいYちゃんと話す機会があり、全然ダメだったんだよ~という話をした。 そしたらこんな話を聞かせてくれた。簡単にまとめるとこんな感じ。

  • 景気が良くなってるせいで、需要が高い
  • 載せた記事が良くない
  • 本気でやらないと採れない

景気が良くなってきてるってことも、今はそこら中で引っ張りだこって話はよく聞いていた。 改めて聞いて、やっぱりそうなのかとさらに実感。 載せた記事が良くないってことについては・・・なんとも言えない。 記事自体の善し悪しは判断出来ないが、こんな印象を持った。

  • 作品としてはいい出来
  • 自分では応募しないな

これが記事の判断だとするのであれば載せた記事がよくなかったことになるが、個人的意見なので却下・・・というわけにもいかない。 会社に同意見の人がいたから(^^; 本気でやらないと採れない件は話を聞いたときには理解出来なかった。 言葉自体の意味はわかるが、本質がわかっていない感じ。 わかりやすく言うと、本気の意味がわからなかった。 多分、話をしてくれたYちゃんも具体的な答えは持っていなかっただろう。 それは会社によって違ってくるものだから、わからないと思う。 本気の意味を疑問にしたまま数日経過・・・。

今、クチコミの技術 広告に頼らない共感型マーケティングと言う本を読んでいる。 あと少しで読み終わる。 この本はクチコミの技術というタイトルで内容もそんな感じだが、クチコミに関係している人についてもわかりやすく書いてある。 これだけネットが当たり前になった世の中、ホームページやブログの向こう側の人の考えていることを知る能力というものも発達している気がする。 その根拠の1つとして企業のやらせブログは見破られ、炎上するのだと思う。 サイトで使われている技術や仕組みがわからなくても、ネットになれてさえいればこの能力は発達しそうだ。 実際、IT関係の仕事をしてる人よりもPCやネットを使いこなす人々は多々いる。 これを踏まえつつ、話題は転職サイトの話へ戻る。

この使いこなす人々から見たら、転職サイトに載せた記事なんて簡単に見破られる記事なのかもしれない。 転職サイトだけでわからなかったとしても、その先にある会社のページ。 そこには少なからず会社に関る何かがあるわけだから、見破られる要素の1つなのだろう。 転職サイトに載せただけ、これって学生時代にやってた(俺だけ?)一夜漬けと変わらないのではないか? 一夜漬けなんてたいした成果は出ないものだ。 成果を出していたとしたら頭がいいか、要領がよかったんだろう。それが大企業ってやつ? 一夜漬けではなく、 日々、こつこつ努力していい成績を修めるためには、 日々、こつこつ何かをしていく必要があるのかもしれない。 それを簡単に表せるものがブログだと思う。 ブログじゃなくてもいいんだけど、書くだけで済むのはお手軽と言えると思う。 (こつこつ何かを続けること自体、簡単なことではないがここではそういう話ではないので置いておく:-D)

この日々のブログを見た上で一緒に働きたいという方がいたとしたら、 それは同じ方向に助走していた時期(時間)があったと思っていいのではないだろうか? バトン渡すときだってお互い助走するし、スタートダッシュ(入社直後の動き)も比較的いいのではないか?

そんなことを思っていたら"本気"の意味がわかってきたきがする。 こつこつと日々続けることなのではないか?と、自分なりの答えが出た。 大変なことを一発で行うこと(転職サイトや一夜漬け)と、 小さいなことを続けること(ブログや日々の勉強)ではどちらが有益か。 この小さなことを続けて行くとWeb2.0で言われているロングテールを表すこともできる。

ここまで考えた結果、転職サイトの結果には納得。 もし、たくさんの応募があったとしたら、それはそれで嬉しいことだが、こちらで思い描いていた人では無い気がする。 考え方に寄っては"面談で時間を使い損"、"入社したがお互いにうまくいかず"・・・なんてことにならなくてよかったのかもしれない。

そんなことをシャワーを浴びながら考えていたのでした。