最近の身の回りの人々
最近、なぜか"この先どうしよう?"みたいな話が多い(というかそんな話をしただけなんだけど)。 全く動かない人、今を把握しようとしている人、先が見えてきて動いている人、いろいろいるなぁ~と思った。
前者はともかく、中者(造語?)と後者はいい方向に向かうといいな😄 話をした感じ、多分大丈夫。あとは行動あるのみ。
久しぶりにそんな話をして、親近感が沸いたというか、頑張っている人は頑張っているなって改めて感じたよ。
・・・ただ、逆な心配もあり。 やらなきゃ差が広がるよ。しかも、半端なく広く。 この差の恐ろしさを感じることが出来ないければ変わらないんだろうなぁ~。
ちょっと昔話。 多分、社会人2年目の頃。 出向先の飲み会で新社会人の人と話をしてたときのこと。 話の前後は覚えてないけど、仕事関係の話をしてたと思う。 そのときに「うわっ、-1!?」みたいな驚き方をされた覚えがある。 この-1という数字、自分たちを基準(大卒)をしたものらしく、年齢的に大学4年だった俺は-1だったらしい(笑) さらに「ファッション誌を見るように技術的な本を読まれたら敵わないよな」みたいなことも言ってた。 そんなことがあったなぁ~と最近思い出したんだけど、似たようなことにコンビニで遭遇。
今度はファッション誌ではなく、マンガ(笑) "マンガって読むのが楽なのはなんでだろう?勉強の本を読むのが(マンガに比べて)敷居が高いのはなんだろう?"と不思議に思い、ちょっと考えてみた。 多分、頭を使うか使わないか?覚える必要があるのかないのか?勉強という先入観がよくないのか?なんて漠然と思った。 これって、小説も同じで、小説も読むのが気楽。しかも、読み終わるのが早いんだよね。
なんだかんだ言って、最終的には興味の範囲だよね、きっと。 興味持てなきゃつまらないのはきっと誰もが同じで、その興味=目的となる人は勉強に向くのかもしれないけど、その先ってどうするのかな? 興味はもっと先に置いて、それを実現するためのものが過程の勉強、そんなのがいいんじゃないかな。 "あれやりたい!"って思ったことの前には壁がいくつもあって、ひとつひとつ理解していくしかない・・・みたいな。 自分の場合、発端はRedHat 6.2の頃のWWWサーバーかもしれない。あの時、理屈がわからずに動作したことが気持ち悪かったから(笑)