プログラミング(だけじゃなくていろいろなこと)の楽しさ

Ken published on
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■ヒビノアワ: 小学生にプログラミングの楽しさを伝えてみた http://cheebow.info/chemt/archives/2009/08/post_334.html こんな記事を見つけた。 始めてプログラミングしたときは仕事じゃなかった。 自分が書いたものがそのまま動くというところに興味を持って触ってみた。

今は仕事で使うけど、別に "書くこと" が目的ではなくて、自動化するために使ったりすることもある。 こういうときはツールのひとつとして。 文章書くときはWord、表計算をしたいときはExcel、一連の処理を自動化したい場合はプログラムを書く、そんな感じ。

Wordの使い方がわからなければ調べるし、プログラムの書き方がわからなければそれも調べる。 プログラムの場合、コードをコピーして、ちょっといじって動かせるから、ある意味Wordより手抜き。 初めから同じ手順をせずに動くんだから(笑) 最近、結構なページのスクリーンショットを集めるのにコードを拾ってきて組み合わせて作った。 2つのサイトからコピーして寄せ集めたコードだけで60%に達するんじゃないかな。

雑誌を読んでたら "正解を教えてもらいたがる人々" なんて章があった。 Webで "正解を求める" で検索すると似たようなことが結構出てくるらしい。 ここでいう正解を求めるという人を名称化すると "正解教えて君" らしい(笑) "教えて君" は結構前からいろんなところで見かけるが、ここではさらに正解を求める人が強調されてる気がする。

"社員教育" なんて言葉あるけど、この言葉の表面的な所だけを受け取って "教育だから教えてもらえる" なんて思ってる人が多いんじゃないだろうか? 先日、社員教育についてちょっと話すことがあったんだけど、そのときは、 「社員教育について話をしたいんだけど、世間一般的にそういう名称だからこの言葉を使うけど、意図としては "教える/教えてもらう" ということではなく、機会を与えるに近い感覚。学校じゃないんだから『教えてないから』とか『教えてもらってないから』という話が先に来るような場合は考えない。(理想としては前日の話などの)質問から始まって、それに答える。そしてさらに一歩深いところを話す。そしてまた翌日質問に・・・みたいなことを想定してます。この場合の教えると言うのはありだと思ってます」 みたいな前置きをしてから話をした。 教育の字の通り "教えて育つ" なら楽だけど、現実そうじゃないし😔 そんなわけで、本題に入る前に前置きが必要だった。 その後の本題はほぼ意見一致でスムーズに話せたからよかったけど😄

文章を書くこと、データを整理すること、自動化するためにプログラムを書くこと、仕事と言え、どれもどこかに楽しみを見出しながらやればいいんじゃないかな?と思った。 いろいろと苦痛なこともあるけど、せめて、気持ちだけはなるべく前向きにってことで😃 その過程の中に調べるという行為が自然と含まれてるといいと思うんだけど、どうしたら "教えて" につながるのか不思議。 教えてもらったことはなかなか身に付かない自分と全く正反対の人を思い浮かべると・・・教えてもらっただけで身に付くのか。 それはそれで素晴らしいが、面白みが無いな。

正解教えて君にならないように、まずはHypertableとHBaseの基本となる情報だけは集めるか。