成長と教育の狭間

Ken published on
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"成長して欲しいけど、教える気がない上司" と "成長したいけど、教えてくれるのを待ってる部下" はどうなるか?

単位は "会社" か "部署" か "上司と部下" かわからないけど、どこにでもありそうな光景。 身近にもそんなところもあれば、そうでもないところもある。

自分の場合、教えてもらってもあまり覚えてない(ので、その前後に色々と調べたりしてるわけです)。 そのときちょっとだけ教えてもらって、それで覚えられる? 少なくとも、その後、自分だけでやってみたり、周辺のことを調べたり、自分一人で何かをするということが大切だと思う。 つきっきりで数ヶ月教えたら少しは覚えるのかもしれないけど、その間、二人で一人分の仕事となると効率が・・・。

実際、仕事の合間に少しずつ教えてたこともあるけど、効果は薄かった😔 効果が薄い原因はこんな感じ?

  • 業務時間内だけでは時間が不足。
  • 復習をしない。
  • もちろん、予習もない。
  • 必要に迫られてない。

話は戻って、上司と部下、どちらが先に行動を起こすべきか?というと、理想は両方同時だろうけど、現実的には部下の方が先に動くべきかなぁ〜と思う。 上司がいくら教えようとしても、部下がやるかやらないかはわからない。 やらなかったら、どちらも労力の無駄。 それに対して、部下が先に動いた場合、上司は相変わらず放置かもしれないけど、部下はやっただけ身に付いてるはず。 コミュニケーションに関わることや経験談や、場について上司の協力が必要なことが多いけど、個人的なスキルについては一人でも身に付けることが出来る分野。 上司は教えてくれないかもしれないし、気づいてもれくれないかもしれないけど、周囲にひとりくらいは見ていてくれる人がいるはず。 誰も見ていてくれなかったら、少しは見てくれる人の元へ行けばいいわけだし、そういう人は重宝されると思うし。

部下が先に動くべきだと思ったもうひとつの理由は、話が出来るくらいの下準備が必要なはずだから。 考えてもわからないことは聞けばいいと思うけど、何もせずに聞きに行っても、回答を理解出来ないでしょ。 聞いた回答にさらに突っ込めばそれだけ深い情報を得られるわけだし、そこまで行けば "話が進んだ感" や "話をした感" が出てくると思う。 この "○○感" という感覚にはふたつの意味があると思う。

  • 充足感。
  • 距離が近づく。

その場で聞いたことを全て身に付けることが出来なかったとしても継続の源にもなりそうな "充足感" が得られると思う。 共通の話題を話せることで距離が近づくと思う。 "○○感" というくらいだから、ただの感覚なんだけど、人である以上、重要な要素でしょ。

"○○感" を疎かにすると配慮が欠けたようになってしまうが・・・これはまた別のお話。