「自画面遷移」という表現
たまに耳にする「自画面遷移」という表現、とっても違和感があるんだけど、他の人はそうは思わないのだろうか?
「遷移」という言葉
個人的には「遷移」という言葉は次のように思っている。
- 「移る」というイメージ
- 同じ場所では遷移とは言わない 同じ場所だったら「戻ってきている」という認識
ちなみに大辞林にはこう書かれている。
うつりかわること。うつりかわり。推移。
「自画面」という言葉
自画面という表現もよくわからない。 どこがわからないかというと、
- 「じがめん」と言ったら「次画面」を思い浮かべる
- 「同じ画面なら遷移する必要ない」から「自画面」+「遷移」は違和感を覚える
というところ。
まとめ
同じ画面が表示されるということは「結果」であって「意志」ではない。 だから「同じページに遷移する」というのはなんかおかしく感じて、 「違うページに遷移しようとしたら、(入力エラーなどで)同じ画面に戻ってきた」ことであると思っている。
余談
細かなことかもしれないけど、触れることができないシステムを作るということは、 ひとつひとつ丁寧に疑問を解決していく必要があると思っている。 仮に丁寧にやっていったとしても納得してもらえるものが出来上がるか?というと、 そこは感覚の違いなどでずれることも多々あると思っている。 丁寧にやってもずれそうだと思っているものを、 もとから丁寧にやらなかったらどうなる?ということだ。